与謝野町加悦 ― 2012/09/24
京都北部の旅シリーズ第三回。伝統的建築群保存地区。
機織で栄えた町並みがのこる・・・
与謝野町加悦にイツテミタ。
まずは、観光案内所にもなっている旧加悦町役場庁舎。
昭和4年竣工、当時の最新技術
と工法を使って立てられた
モダ〜ンな建物だったのだ。
中に入れば与謝野町のゆるきゃら、まめっこ、まいちゃん。
なんでも与謝野町の特産品である豆の搾り粕(豆っこ)を
使った有機肥料で育てられた丹後コシヒカリ米をモチーフにした
お米の女の子です・・・って。よくわからん・・・(爆)
さてまいちゃんは放って置いてちりめん街道へ。
のんびりぶ〜らぶらと散策します。
ちりめん街道と銘打っている通り、丹後縮緬で栄えた製織町。
少し歩くと機織の音が本当に聞こえてきます。当たり前ですが。
因にこの橋は天神橋、昭和9年に掛けられた橋。
濱見家住宅。明治二十一年建築。切妻造の二階建て、
屋根には採光と風通しのための越屋根がついてます。
明治時代中期の加悦の住宅の様子を伝える一軒。
井筒屋旅館。今も現役の旅館ですが、明治二十三年創業
100年以上続く老舗旅館。
建物は昭和8年建設と若干新しい気もしますが
当時の雰囲気が残る由緒正しい旅館であります。
松村家住宅。明治から昭和十七年まで丹波屋という
旅館を営まれておられたそうな。
現在は、(後で紹介しますが)機織の実演公開スペースが
併設されてます。
川島家住宅。昭和四年建築。
この地区内唯一の酒蔵だったそうです。
江戸時代末期、文久三年建築の旧尾藤家住宅。
京都府指定有形文化財に指定されています。
一般公開施設ですので早速入ってみましょう。
ちなみに入場料は200円ね。
母屋は江戸時代末期、昭和十六年には洋館を増築。
けばけばしくは無いですが贅沢な造りは当時の繁栄が
映されているようであります。
そして、ここ旧尾藤家でお願いすると、
先ほどの松村家住宅で見かけた
機織機の実演が見学出来ます。
早速お願いして・・・
現代の機織なので当然機械化されておりますね。
イメージは鶴の恩返しに出てくる様なギッコンばったんの
機織機なんですが、それが高速にギコバタギコバタと
猛烈なスピードで動いております。
複雑な絵柄が織り出されて行く原理は不明(笑)ですが、
あまり目にする事のないモノですので有り難く見学させてもらいました!
さて、機織実演も程々に散策再開。
下村家住宅は文化元年(1804年)に建てられた
この地区最古の建物。二枚目の写真は珍しい機屋窓(ハタヤマド)。
昔は機屋では外から見られない様に、そして外からの光は
十分に取り入れられる様、この様な格子窓が付けられてたんだって。
こちらも下村家住宅(角屋)。ちりめん街道の南西の角。
角なので「角屋」
と称して北前船による回船問屋で財をそうです。
天風堂さんは骨董品のお店。
旧伊藤医院診療所。大正六年頃建築。
町の近代化を物語る洋館チックな建物。
ちょっと失礼して玄関前をパチリ。
漆喰のレリーフが大正ロマンを感じさせます。
杉本家住宅。(西山工場)江戸時代の建物を大正初期に
移築した虫籠窓が特徴的な建物。西側には西山第一工場、
二階を通じて第二工場が建てられてたそうです。
杉本家住宅。こちらが工場。
この様な工場が四つ建てられてたそうです。
ここも杉本家住宅(上ノ町)。この家には卯建つが上がってます。
ミルヲはいつまでたっても卯建つ上がらず・・・Orz
所々ではありますが、屋根の上に趣向を凝らした瓦があります。
さらにあまり見かけないものが・・・
なぜか、お地蔵様が彩色されてる。
この地方の風習なのかな?まさか悪戯じゃないよなぁ・・・
などとミステリーな妄想を膨らませつつ
名残惜しくも加悦の散策もこれにて終了です。
ここも伝建らしいのんびりとした良い町でした。
さて、次は観光案内所で聞いた情報でちょっと寄り道!
ミルヲの旅はまだまだ続きます♪
訪問日:2012/8/11
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